2008年08月30日
宮崎で手術
地元に帰り手術を受けてきました。
私のあばら骨。
親や姉妹、友達が心配してくれて、本当にありがたいと思いました。
これからは健康に気をつけて、定期的に人間ドッグにでも通います。
癒しの宮崎の自然。
私のあばら骨。
親や姉妹、友達が心配してくれて、本当にありがたいと思いました。
これからは健康に気をつけて、定期的に人間ドッグにでも通います。
癒しの宮崎の自然。
2008年08月09日
2008年08月07日
学会
只今学会のレポ作成中。
といういことで振り返ってみる。
東工大であった。これが入口。
小さくないかい?
しかし、その奥には秘密の花園ならぬ秘密の東工大が!!
広い・・・。
この世界感伝わるだろうか。森に囲まれた無機質の建物たち
廃墟にも似た佇まい(褒め言葉)
パイプがむき出し。まさに無機質
不思議な空間。
大盛況。
といういことで振り返ってみる。
東工大であった。これが入口。
小さくないかい?
しかし、その奥には秘密の花園ならぬ秘密の東工大が!!
広い・・・。
この世界感伝わるだろうか。森に囲まれた無機質の建物たち
廃墟にも似た佇まい(褒め言葉)
パイプがむき出し。まさに無機質
不思議な空間。
大盛況。
2008年08月07日
2008年08月06日
なんなんだ今日は
歩いていると交通事故に遭遇した。
そこらじゅう血だらけ。
おばちゃんがぐったり、お姉さんはパニック。
救急車呼んで運び込まれていった。
びっくりした。
そこらじゅう血だらけ。
おばちゃんがぐったり、お姉さんはパニック。
救急車呼んで運び込まれていった。
びっくりした。
2008年08月06日
品川シーサイド
今日は楽天タワーに行ってまいりました。
乗る路線全てが遅延している絶望的な幕開けでしたが、とても雰囲気のよい会社で頑張ろうと思いました。
緊張して自分でな何言ってるんだか分からなかったですが、なんとか無事に乗り切りました。
伝わっているといいな(;´∩`)
乗る路線全てが遅延している絶望的な幕開けでしたが、とても雰囲気のよい会社で頑張ろうと思いました。
緊張して自分でな何言ってるんだか分からなかったですが、なんとか無事に乗り切りました。
伝わっているといいな(;´∩`)
2008年08月04日
東京ドームはKAT-TUN祭り
姉妹のとこにとまるんで待ち合わせの東京ドームに来ました。KAT-TUNのライブらしいです。暑いです。
2008年08月04日
たまプラーザ駅
横浜で学会があるので電車。
途中でたまプラーザという駅に遭遇。
「次はたまプラーザ、次はたまプラーザに止まります。」
ちょっと間抜け。
途中でたまプラーザという駅に遭遇。
「次はたまプラーザ、次はたまプラーザに止まります。」
ちょっと間抜け。
2008年08月01日
家族
小さい時はおばあちゃん家に預けられていた。
おばあちゃんはいつもニコニコしていて、あまり怒らなかった。
小学校後半からは仕事で忙しくピリピリした働き盛りのお父さんと、歳の離れた姉妹の家庭で育った。
お父さんはよくイライラしていて、怒るときはビンタとか大雑把で、魔王みたいな感じだった。
なだめる人が誰もいないし、お父さんは躾けるわけでもなく怒ってばかりだった。
とりわけ勉強のできる次女は、完全に中だるみされた。
そんな中、絆の深まった3姉妹は、大学という名目で家から出ていくためにチャキチャキ勉強し、すくすくと育ち巣だった。
歳をとり、仕事場に余裕ができ、3姉妹を大学に出した父は驚くほど丸くなった。
姉も妹も都会の女の人になった。
会うたびに変わっているのがなんだか嫌だ。
でもみんな確実に幸せになっている。
ピリピリしていたころは禁句だった「お母さん」も、今では平気。
お母さんが生きていてくれたら・・・なんていう会話によく出てくるようになった。
姉)お母さんが生きていてくれたら・・・帰国子女だったのに
妹)お母さんが生きていてくれたら・・・もっと躾けてもらえたのに
父)お母さんが生きていてくれたら・・・他に何もいらない
そんなこと考えてたのね。
夏に久々に全員揃って、妹の七五三以来の家族写真を撮る。
お母さんの遺影と、愛犬のチロも連れて。
おばあちゃんはいつもニコニコしていて、あまり怒らなかった。
小学校後半からは仕事で忙しくピリピリした働き盛りのお父さんと、歳の離れた姉妹の家庭で育った。
お父さんはよくイライラしていて、怒るときはビンタとか大雑把で、魔王みたいな感じだった。
なだめる人が誰もいないし、お父さんは躾けるわけでもなく怒ってばかりだった。
とりわけ勉強のできる次女は、完全に中だるみされた。
そんな中、絆の深まった3姉妹は、大学という名目で家から出ていくためにチャキチャキ勉強し、すくすくと育ち巣だった。
歳をとり、仕事場に余裕ができ、3姉妹を大学に出した父は驚くほど丸くなった。
姉も妹も都会の女の人になった。
会うたびに変わっているのがなんだか嫌だ。
でもみんな確実に幸せになっている。
ピリピリしていたころは禁句だった「お母さん」も、今では平気。
お母さんが生きていてくれたら・・・なんていう会話によく出てくるようになった。
姉)お母さんが生きていてくれたら・・・帰国子女だったのに
妹)お母さんが生きていてくれたら・・・もっと躾けてもらえたのに
父)お母さんが生きていてくれたら・・・他に何もいらない
そんなこと考えてたのね。
夏に久々に全員揃って、妹の七五三以来の家族写真を撮る。
お母さんの遺影と、愛犬のチロも連れて。